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高原での第1回東日本区役員会 [ヒストリアン日誌]

11-1東日本区役員会.jpg 7月9日(土)、10日(日)の二日間、東日本区の今年度第1回役員会が、朝霧高原にある富士山YMCAグローバル・エコ・ヴィレッジで開催されました。東日本区の役員会は、通常、年度のスタートにあたる7月、中間直前の11月、期の終盤の4月(次期役員と合同)、それに、6月の東日本区大会の前日の計4回行われます。
 役員会の出席者は、議決権者16人(理事・直前理事・次期理事・書記・会計・4事業主任・7部部長)と、監事(2名)、常置委員会委員長、専任委員から構成されています。今回は、北海道部部長が欠席しましたが、25人が出席しました。
 役員会の開催場所は、通常は東京での開催が多いのですが、一度くらいは、その年度の理事のホームクラブに関係した場所で開かれる事もあります。今年度の河合理事が富士クラブということで、今回の場所になりました。
 役員会のプログラムは、一日目が、理事を筆頭に事業主任、部長の活動方針の発表がありました。また、今回は東日本大震災への支援関連で、対策本部からも報告がありました。

東日本区役員会バーベキュー.jpg 一日目のプログラムが終わり、夕食懇親会が元牛舎の建物(現在はバーベキューハウスとして使用)で行われました。理事ホームクラブや、地元の富士宮クラブからも助っ人が差し入れと共に駆けつけてくれました。名物の富士宮焼きそばを美味しく戴きました。区の運営を審議する重要な役員会ですが、お酒を酌み交わしての仲間との交わりは、ワイズの楽しみの一つです。
 二日目は、常置委員会委員長、専任委員から活動計画の説明がありました。私もヒストリアンとして以下のような今年度の計画を発表しました。
1. 今年度は東日本区発足15年目にあたるので、10年目から15年目の年表をまとめたい(10年目に記念史を発行済み)。
2. 資料保存のデジタルデータ化についての基礎的な調査研究に着手したい。

 その後、議案審議に入り、8件の議案が審議され、全議案が全員の賛成で承認されました。各議案の内容については、後日理事通信、区報で報告があると思いますので、ここでは記しません。
 最後に監事の講評があり、閉会しました。

新米ヒストリアン [ヒストリアン日誌]

 第14回東日本区大会の二日目、役員引継式で、13年間務められた吉田明弘さんから、ヒストリアンの役職を引き継ぎました。理事は別格として、書記、会計、事業主任、部長は、バッヂを交換して引き継ぎますが、ヒストリアンには専用のバッヂはありませんので、吉田さんに「長い間ご苦労様でした」と声を掛けるのみでした。しかもステージの前面で部長や事業主任が引き継ぎをしている、その影で、人知れず(?)の引き継ぎとなりました。
 一年前の区大会の時に、吉田さんからそれとなく打診されたのですが、はっきりとした返事もせずにいました。その後、9月下旬頃、次期理事の河合さんから正式に依頼があり、お応えしました。
 尊敬する吉田さんの後任と言う栄誉と、責任の重大さと、自分のようなもので良いのかという戸惑いと、そんな感情の絡み合いとともに、吉田さんが発信していた「Historian’s View」(以下H・V)のことが脳裏をかすめました。このような媒体が終わってしまうのは、もったいない。しかし、私にはとても「H・V」は書けません。もし、書けるとしたら“Viewもどき”です。View(見解)ではなく、Watching(観察)です。そんな思いを巡らせて、将来何らかのメディアで発信するとしたら、と思いついたのが、ワイズダムを観察する=「Y’sdom Watching」というタイトルです。
 もう一つは、“甲府ワイズ文庫の司書”としての発信です。これまで、「甲府ワイズ文庫」では、各クラブの例会や、その他の会合での卓話や講演、またブリテンに掲載された論文などを収蔵してきました。しかし、これまでのような受け身の姿勢では、なかなか文献も集まらず、これからの図書館は自ら発信する役割も果たすべきではないかとの考えから、新たな媒体が必要ではないかと思っていました。そしてその時のために、日頃から訓練をしておこうと思い立ち、こっそりと始めたのがこのブログです。たまたま、2010年10月2日に、私も関わった長野クラブのチャーターナイトがあり、これからスタートしようと思いました。
 今後は、このブログを重ねると同時に、「H・V」の後継として位置づけられるような「Y’sdom Watching」を発信できたらと願っています。

第14回東日本区大会 [区大会]

14回東日本区大会.jpg第14回東日本区大会が6月4日(土)と5日(日)の二日間に亘り、松本市で開催されました。今年の大会は、3月11日に東日本大震災があったことから、一時開催そのものが危ぶまれました。しかし、その被災地の復興のためというターゲットを設定して、見事に内容の充実した大会となりました。恐らく、後の時代にも語り継がれる大会となったことでしょう。
今年で14回となった東日本区大会ですが、これまでのホストクラブを見てみますと、
第1回  東京(東新部)
第2回  富士(富士山部)
第3回  東京山手(あずさ部)
第4回  東京北(関東東部)
第5回  沖縄・沖縄しぃーさぁー(湘南・沖縄部)
第6回  宇都宮(北東部)
第7回  熱海(富士山部)
第8回  甲府(あずさ部)
第9回  仙台青葉城(北東部)
第10回  伊東(富士山部)
第11回  東京ひがし(関東東部)
第12回  十勝(北海道部)
第13回  富士五湖(あずさ部)
第14回  松本(あずさ部)
となっています。
部別に見ますと、あずさ部が4度、富士山部が3度、北東部と関東東部が2度、北海道部、東新部、湘南・沖縄部が、各1度となっています。次回は第10回に続いて伊東クラブがホストしますが、5年という短い間隔で再びホストをするというのは、おそらく初めてではないでしょうか。伊東クラブのクラブ力を感じますが、逆に言えば、他のクラブに、頑張って欲しいとも思います。
区大会は、年に一度、我々の活動と連帯を確認する大イベントですが、同時に、各地のクラブの地域性を理解することも楽しみのひとつです。できるだけ、色々な地域で開催されることを望みます。

東京むかで・東京世田谷50周年記念合同式典 [周年行事]

むかでバナー.jpg 世田谷バナー.jpg
 東京むかでクラブと東京世田谷クラブの創立50周年記念の合同式典が、青山学院のアイビーホールで開催され、出席しました。
 むかでクラブは1961年5月10日、世田谷クラブは同年6月3日にチャーターされました。同じ東新部ということもあり、10年前の40周年の時も、合同で記念式典を行ったそうです。むかでのクラブ名の由来は、野尻湖、山中湖キャンプの創始者、小林弥太郎が経営していた砂糖問屋の屋号「百足(むかで)屋」から来ています。むかでクラブと言えば、その野尻湖キャンプとユニークダンス、一方、世田谷クラブは国際交流と「YMCAすずらん会」に力を入れています。この日は、元国際会長の竹内敏朗さんの講演もありました。
 会場に飾られた、両クラブのバナーに目が行きました。むかでクラブのバナーの形は、通常見られる“ホームベース型”でなく、下部が逆に切り込まれている形でした。一方の世田谷クラブのそれは、下部が“波形”で、両クラブとも個性的な形のバナーです。世田谷のものは、IBCのガーディナークラブから贈られたもので、その旨が記されています。
 2005年に甲府で開かれた、第8回東日本区大会の時に、東京江東クラブの寺尾さんが、東日本区各クラブのバナーの写真を集めた「バナー図鑑」を作りましたが、今度は「バナー百科」的なものを作れれば良いと思います。

東日本大震災と災害支援 [地域奉仕事業]

 3月11日(金)、「東北地方太平洋沖地震」が発生しました。マグニチュード9.0という日本の観測史上最大の規模でした。甲府でも震度5弱を観測しましたが、この揺れは初めての経験でした。岩手、宮城、福島では大津波によって何万人もの犠牲者が出ています。1995年の阪神淡路大震災、2004年の新潟県中越地震をはるかに超える大災害です。
支援物資.jpg 一昨日東日本区のメーリングリストに、仙台YMCAへの緊急支援物資の提供依頼のメールが入りました。取りあえず東京YMCAの妙高高原ロッジへ送って欲しいとのこと、そこから車で仙台まで運ぶそうです。さっそくクラブ内にメールを発信し、個人で出すより、クラブまとめての方が受入れの負担も軽減されると思い、山梨YMCAへ集めることにしました。緊急にもかかわらず、大勢の会員から、リクエストのあった毛布、ジャンパー、石けん、食料品等多数が提供されました。九つの箱に梱包し、午後一番の便で送り出しました。
 2004-2005年度の東日本区地域奉仕事業主任を務めた時は、国内外に自然災害の多い年で、災害支援金のお願いの文書を何度も出した事を覚えています。

 東日本区になってからの、主な災害等に対する支援活動(主に支援金ですが)は次のようなものです。
97年 北朝鮮食糧危機への緊急支援
98年 神戸YMCA支援、コロンビア大地震被災地支援
99年 トルコ大地震被災地救援、台湾中部地震被災地支援
00年 有珠山噴火被災地支援
01年 インド大地震被災地支援、エルサルバドル大地震被災地支援
02年 スリランカ水害被災地支援
03年 イラン南部地震被災地支援、北朝鮮滝川駅爆破被災支援
04年 新潟・福井水害被災地支援、台風23号及び新潟県中越地震被災地支援、スマトラ島沖地震インド洋津波被災地支援
05年 アメリカ南部ハリケーン被災地支援、ジョグ・ジャカルタ地震被災地支援
06年 フィリピン・ルソン島台風被災地支援、パキスタン地震被災地支援、ジャワ島地震被災地支援
07年 新潟県中越沖地震被災地支援、バングラデシュ・サイクロン被災地支援
08年 ミャンマー・サイクロン被災地支援、中国四川省大震災被災地支援、パレスチナ・ガザYMCA支援
09年 アジア・太平洋地域台風・地震被災支援、ハイチ地震被災地支援、
11年 スリランカ水害被災地支援、ニュージーランド地震被災地支援、
そして、今回の東日本大震災被災地支援です。
 04年度の上半期を終えた区報に、地域奉仕事業主任として次のように書いています。
『この上半期は自然災害が多発しました。日本列島は日常的に災害と向き合う時代に入ったようです。このような時代にあって、ワイズメンズクラブとしてどのような地域奉仕活動が必要とされるのか、新しい視座が求められる時代ではないでしょうか。』


土佐文旦とファンド事業 [ファンド事業]

土佐文旦.jpg 松本クラブから土佐文旦が届きました。なぜ松本が土佐なの?ということですが、会員のメネットが高知出身だからというわけです。毎年この時期に、松本クラブのファンド事業として販売しています。1箱25個前後入って、3,500円、クラブで10箱購入して、購入者を募ります。家族の人数も少ないので、1箱を二人で半分ずつ購入する人もいます。私もそうしました。この売り上げの収益は、松本クラブのCS事業である、「アジア賞作文コンテスト」の資金にするというので、毎年協力しています。
 
 ワイズのファンド事業というと物品販売が主ですが、一番大規模なのは、十勝クラブのジャガイモ(カボチャも併せて)でしょう。歴史も古いし、多くのクラブで購入しています。東日本区20クラブ、西日本区46クラブが現在ファンクラブとして購入しています(十勝クラブのウェブサイトより)。ジャガイモを購入したクラブは、それを販売し、自分たちのクラブのファンドにしています。
 この他、北見クラブのサーモン、もりおかクラブのりんご、川越クラブの紅赤いも、東京たんぽぽクラブの梨など、ご当地の特産品が並んでいますが、最近は東京クラブが甲州勝沼ワインを扱っています。これらは、ほとんどが食品ですが、珍しいのは、もりおかクラブで扱っている「わかしお石けん」です。海洋水質保全のために、天然原料でつくられた石けんです。
 これらの益金で、それぞれのクラブがさまざまな事業に役立てているわけですから、もう少し“売り上げ”が伸びると良いと思います。そんな思いで、7年前にある提案をしたことがあります。あるクラブが各クラブの特産品の販売窓口になって、ネット上で販売促進活動をする。それらの売り上げの何%かをそのクラブのファンドにするという、いわば“ワイズネット市場”構想です。ネットワークがコミュニティサービスのキーワードになるわけです。残念ながら、未だにそれを実行しているクラブはありませんが。

松本クラブ・第12回アジア賞授与式 [地域奉仕事業]

12回アジア賞.jpg 松本クラブの地域奉仕事業である「アジア賞」の授与式に出席しました。大学関係者、ワイズメン、留学生など60人近い出席者がありました。この事業はアジアからの信州大学、松本大学への私費留学生を支援するため、作文コンテストを実施し、優秀者を表彰するものです。1999年から始められ、今年で12回目となりました。これまでに延べ380名の応募があったそうです。今年は6カ国の学生22名が応募しました。最優秀賞は、中国・内モンゴルからの留学生、チンゲル君(信州大学4年)の「あの時はもう帰らない」という作文で、学費補助として5万円が贈呈されました。この他、優秀賞(同3万円)2名、佳作(同1万円)5名、審査員特別賞2名、伊藤賞1名が表彰されました。選にもれた応募者全員にも参加賞として図書券が贈られました。「伊藤賞」というのは、松本クラブのチャーターメンバーで、このアジア賞の発案者でもある、故伊藤義則さんを覚えてのものです。
 ワイズにおける地域奉仕事業にはさまざまなものがあり、以前4つのキーワードに分類したことがあります。すなわち「共生」「環境」「文化」「健康」です。例えば、東京グリーンクラブの「神田川船の会」は、「環境型」ですし、東京西クラブの「WHO」は「健康・文化型」、また富士山部の多くのクラブで実施しているドッジボール大会やサッカー大会は「健康型」と言えます。
 松本クラブの「アジア賞」は、留学生を支援するという意味で「共生」に、作文コンテストという側面からは「文化」に当てはまる「共生・文化型」の事業です。
 また、“どこへ奉仕するか”という観点から考えますと、松本市に住み、松本にある大学で勉強をしている学生にですから、文字通り地域(地元)への奉仕なのですが、留学生がやがて母国へ帰るということを考えると、アジアという広い地域への奉仕にも繋がる訳で、極めてグローバルなプログラムと言えます。

甲府21クラブ20周年 [周年行事]

20周年.jpg 甲府21クラブの20周年記念例会が、あずさ部の部会と併催という形で行われました。チャーターナイトの時と同じ、岡島ローヤル会舘が会場でした。
 甲府21クラブは1990年、甲府クラブの創立40周年記念事業として新クラブ設立が取り上げられ、山梨県で二番目のクラブとして誕生しました。チャーターメンバー23人は、YMCAに何らかのつながりを持つ人たちばかりでした。
 11月25日のチャーターナイトでは、当時の中村次郎日本区理事(福岡中央)をはじめとする多くの区役員が、日韓ワイズメン会議のために出席出来ず、少年事業/Yサ事業主任の松田俊彦さん(東京)が、初代会長・功刀弘さんに認証状を伝達しました。奇しくも20年後、功刀さんが二度目の会長として、松田さんは東日本区理事として、記念例会の壇上にいました。
 「甲府21」の名称は、甲府クラブの済本文雄さんの命名ですが、21世紀を目前にしての意気込みが感じられます。数字そのものをクラブ名に取り入れたのは、後にも先にも甲府21クラブだけでしょう。余談ですが、過去に大阪センテニアル=100周年(1982)や京都センチュリー=100年(1987)といった、数字からイメージ化した名称や、今年8月には「京都ZERO」クラブのように英字表記のクラブも現れました。
 記念例会では、チャーター以来例会皆勤の3人(駒田勝彦さん・中島竹男さん・松村豪夫さん)が表彰されましたが、2008年の東日本区大会では、30年以上の皆勤者11人を、当時の越智京子理事が表彰しました。これらは驚きですが、21クラブの3人にも今後皆勤を続けて頂きたいと思います。

長野クラブチャーターナイト [新クラブ]

長野チャーター.jpg
▽新クラブ設立のいきさつ
 長野クラブのチャーターナイトが2010年10月2日、長野市のホテル信濃路で執り行われました。出席者は106名でした。
 長野クラブの設立は、東日本区の新クラブ設立運動である「2000プロジェクト」に基づき、甲府クラブがクラブ創立60周年記念事業の一環として取り組んできたものです。
 この下地は、長野クラブの中心メンバーである湯田勝彦さんが、小布施町の新生病院に勤務したことから始まります。湯田さんは、かつて山梨YMCAの主事として甲府21クラブの担当主事となり、ワイズメンを知ったのですが、その後横浜YMCAへ転任し、厚木クラブのチャーターメンバーになりました。長野に移ってからも、ワイズが好きでずっと厚木のメンバーでいました。
 そんな湯田さんの長野への新クラブ設立の夢と、甲府クラブの思惑が一致し、設立準備がスタートしたのです。湯田さんの友人・知人への声掛けと並行して、甲府クラブの“戦略”を推進し、約2年の活動の結果、設立へ漕ぎ着けたのです。甲府クラブにとっては、松本、甲府21、富士五湖に次ぐ4番目の子クラブとなったわけですが、40周年(甲府21)、50周年(富士五湖)、今回の60周年と40歳を過ぎてから、10年ごとにエクステンションを果たしてきたことになります。

▽珍記録
 新クラブのチャーターメンバーは担当主事も含めて16名。このうち女性が半分の8名です。認証状は、藤井寛敏国際会長から直接初代会長の水崎よし子さんに渡されました。伝達式で国際会長が直接渡したという例は、おそらく日本では初めてでしょう。
 過去の記録を調べると、1975年7月7日、湯河原クラブの創立総会で国際大会のため来日したハリー・カミングス国際会長から認証状を受けた、と「日本ワイズメン運動70年史」に記述がありますが、伝達式は9月21日とありますから、伝達式以前に受けていたことになります。
 初代会長が女性というのも珍しいケースです。女性だけのクラブ、大阪なかのしまクラブと東京たんぽぽYサービスクラブは別として、日本で最初の初代女性会長は、1981年10月4 日チャーターの、名古屋サウスクラブの藤井和子会長で、去る8月にチャーターしたばかりの西日本区・「京都ZEROクラブ」の高倉英理会長と、同じ年に東西でそれぞれチャーターしたクラブが女性会長という珍しいケースになりました。
 また、9月1日付けで日本人初の国際書記長に就任した西村隆夫さんにとっては、サイン第1号の認証状となりました。実はこの認証状には“前日談”があって、前任のロランド・ダルマス国際書記長が8月27日にサインをして、水崎会長の元へ届いたのですが、日本人の国際会長と国際書記長のサインを強く希望していた湯田さんと私が、西村さんにサインのし直しをお願いしたのです。従って一時的に“幻の認証状”が存在したという珍しい出来事でした。
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