SSブログ
新クラブ ブログトップ

長野クラブチャーターナイト [新クラブ]

長野チャーター.jpg
▽新クラブ設立のいきさつ
 長野クラブのチャーターナイトが2010年10月2日、長野市のホテル信濃路で執り行われました。出席者は106名でした。
 長野クラブの設立は、東日本区の新クラブ設立運動である「2000プロジェクト」に基づき、甲府クラブがクラブ創立60周年記念事業の一環として取り組んできたものです。
 この下地は、長野クラブの中心メンバーである湯田勝彦さんが、小布施町の新生病院に勤務したことから始まります。湯田さんは、かつて山梨YMCAの主事として甲府21クラブの担当主事となり、ワイズメンを知ったのですが、その後横浜YMCAへ転任し、厚木クラブのチャーターメンバーになりました。長野に移ってからも、ワイズが好きでずっと厚木のメンバーでいました。
 そんな湯田さんの長野への新クラブ設立の夢と、甲府クラブの思惑が一致し、設立準備がスタートしたのです。湯田さんの友人・知人への声掛けと並行して、甲府クラブの“戦略”を推進し、約2年の活動の結果、設立へ漕ぎ着けたのです。甲府クラブにとっては、松本、甲府21、富士五湖に次ぐ4番目の子クラブとなったわけですが、40周年(甲府21)、50周年(富士五湖)、今回の60周年と40歳を過ぎてから、10年ごとにエクステンションを果たしてきたことになります。

▽珍記録
 新クラブのチャーターメンバーは担当主事も含めて16名。このうち女性が半分の8名です。認証状は、藤井寛敏国際会長から直接初代会長の水崎よし子さんに渡されました。伝達式で国際会長が直接渡したという例は、おそらく日本では初めてでしょう。
 過去の記録を調べると、1975年7月7日、湯河原クラブの創立総会で国際大会のため来日したハリー・カミングス国際会長から認証状を受けた、と「日本ワイズメン運動70年史」に記述がありますが、伝達式は9月21日とありますから、伝達式以前に受けていたことになります。
 初代会長が女性というのも珍しいケースです。女性だけのクラブ、大阪なかのしまクラブと東京たんぽぽYサービスクラブは別として、日本で最初の初代女性会長は、1981年10月4 日チャーターの、名古屋サウスクラブの藤井和子会長で、去る8月にチャーターしたばかりの西日本区・「京都ZEROクラブ」の高倉英理会長と、同じ年に東西でそれぞれチャーターしたクラブが女性会長という珍しいケースになりました。
 また、9月1日付けで日本人初の国際書記長に就任した西村隆夫さんにとっては、サイン第1号の認証状となりました。実はこの認証状には“前日談”があって、前任のロランド・ダルマス国際書記長が8月27日にサインをして、水崎会長の元へ届いたのですが、日本人の国際会長と国際書記長のサインを強く希望していた湯田さんと私が、西村さんにサインのし直しをお願いしたのです。従って一時的に“幻の認証状”が存在したという珍しい出来事でした。
新クラブ ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。