SSブログ
ヒストリアン日誌 ブログトップ

チャーター記念誌 [ヒストリアン日誌]

ヒストリアンに就任して、初めて実質的な仕事をしました。
第2回東日本区役員会の前日上京し、資料庫のある地下室に篭り、3時間ほど資料のチェックと少しの調べ物をしました。とても数時間ですべての資料のチェックは出来ませんので、今回は取りあえず、「認証状伝達式」の資料を確認しました。前任者、前々任者の方が綺麗に整理されていましたので、スムーズに作業が進みました。帰宅して整理してみると、幾つかのクラブの資料が欠落していました。50年以上も前の古いクラブのものは、すでに現存していないかも知れませんが、ここ最近のクラブのものもあり、これらは記念誌が作成されなかったのか、誰かが持ち出したのかも知れません。
甲府CNプログラム.jpg我が甲府クラブも昨年60周年を迎えましたが、チャーターナイトプログラムは保存されていませんでした。ところが数年前、古い会員の自宅から、当日のプログラムが出て来ました。これをカラーコピーして保存してあります。
プログラムには、奈良傳の名前や「ワヰズメンズ倶楽部」といった表現がありました。

地下室での引き継ぎ [ヒストリアン日誌]

ヒストリアン引き継ぎ.jpg 新年度に入ってなかなか出来なかった、ヒストリアンの引き継ぎを東日本区事務所で行いました。前任者の吉田明弘さんから地下室にある資料庫で、日本区時代からの資料の説明を受けました。これからこの地下室が仕事場になる訳です。書棚には各クラブのチャーター、周年記念、区大会、区報等の資料が保存されています。今後の保存方法として、種類別に保存する方法と、年度別にする方法と、どちらが良いかも検討する必要があります。
 また、今後の課題の一つ、デジタルデータでの保存という問題。たまたま、区事務所のコピー機を複合機に入れ替えるということで、メーカーの営業マンからの説明会に立ち会わせて頂きました。デジタルでの保存は、記憶媒体(メディア)そのものの変化もありますから、どういう手法でどういう資料を保存するか、という問題を検討しなければなりません。今後の大きな課題です。
 6月の松本での東日本区大会で役員引き継ぎ式がありましたが、その時は“ひっそり”と写真も写されずの引き継ぎでしたので、今回写真撮影もしました。ヒストリアンらしい引き継ぎだと思います。

高原での第1回東日本区役員会 [ヒストリアン日誌]

11-1東日本区役員会.jpg 7月9日(土)、10日(日)の二日間、東日本区の今年度第1回役員会が、朝霧高原にある富士山YMCAグローバル・エコ・ヴィレッジで開催されました。東日本区の役員会は、通常、年度のスタートにあたる7月、中間直前の11月、期の終盤の4月(次期役員と合同)、それに、6月の東日本区大会の前日の計4回行われます。
 役員会の出席者は、議決権者16人(理事・直前理事・次期理事・書記・会計・4事業主任・7部部長)と、監事(2名)、常置委員会委員長、専任委員から構成されています。今回は、北海道部部長が欠席しましたが、25人が出席しました。
 役員会の開催場所は、通常は東京での開催が多いのですが、一度くらいは、その年度の理事のホームクラブに関係した場所で開かれる事もあります。今年度の河合理事が富士クラブということで、今回の場所になりました。
 役員会のプログラムは、一日目が、理事を筆頭に事業主任、部長の活動方針の発表がありました。また、今回は東日本大震災への支援関連で、対策本部からも報告がありました。

東日本区役員会バーベキュー.jpg 一日目のプログラムが終わり、夕食懇親会が元牛舎の建物(現在はバーベキューハウスとして使用)で行われました。理事ホームクラブや、地元の富士宮クラブからも助っ人が差し入れと共に駆けつけてくれました。名物の富士宮焼きそばを美味しく戴きました。区の運営を審議する重要な役員会ですが、お酒を酌み交わしての仲間との交わりは、ワイズの楽しみの一つです。
 二日目は、常置委員会委員長、専任委員から活動計画の説明がありました。私もヒストリアンとして以下のような今年度の計画を発表しました。
1. 今年度は東日本区発足15年目にあたるので、10年目から15年目の年表をまとめたい(10年目に記念史を発行済み)。
2. 資料保存のデジタルデータ化についての基礎的な調査研究に着手したい。

 その後、議案審議に入り、8件の議案が審議され、全議案が全員の賛成で承認されました。各議案の内容については、後日理事通信、区報で報告があると思いますので、ここでは記しません。
 最後に監事の講評があり、閉会しました。

新米ヒストリアン [ヒストリアン日誌]

 第14回東日本区大会の二日目、役員引継式で、13年間務められた吉田明弘さんから、ヒストリアンの役職を引き継ぎました。理事は別格として、書記、会計、事業主任、部長は、バッヂを交換して引き継ぎますが、ヒストリアンには専用のバッヂはありませんので、吉田さんに「長い間ご苦労様でした」と声を掛けるのみでした。しかもステージの前面で部長や事業主任が引き継ぎをしている、その影で、人知れず(?)の引き継ぎとなりました。
 一年前の区大会の時に、吉田さんからそれとなく打診されたのですが、はっきりとした返事もせずにいました。その後、9月下旬頃、次期理事の河合さんから正式に依頼があり、お応えしました。
 尊敬する吉田さんの後任と言う栄誉と、責任の重大さと、自分のようなもので良いのかという戸惑いと、そんな感情の絡み合いとともに、吉田さんが発信していた「Historian’s View」(以下H・V)のことが脳裏をかすめました。このような媒体が終わってしまうのは、もったいない。しかし、私にはとても「H・V」は書けません。もし、書けるとしたら“Viewもどき”です。View(見解)ではなく、Watching(観察)です。そんな思いを巡らせて、将来何らかのメディアで発信するとしたら、と思いついたのが、ワイズダムを観察する=「Y’sdom Watching」というタイトルです。
 もう一つは、“甲府ワイズ文庫の司書”としての発信です。これまで、「甲府ワイズ文庫」では、各クラブの例会や、その他の会合での卓話や講演、またブリテンに掲載された論文などを収蔵してきました。しかし、これまでのような受け身の姿勢では、なかなか文献も集まらず、これからの図書館は自ら発信する役割も果たすべきではないかとの考えから、新たな媒体が必要ではないかと思っていました。そしてその時のために、日頃から訓練をしておこうと思い立ち、こっそりと始めたのがこのブログです。たまたま、2010年10月2日に、私も関わった長野クラブのチャーターナイトがあり、これからスタートしようと思いました。
 今後は、このブログを重ねると同時に、「H・V」の後継として位置づけられるような「Y’sdom Watching」を発信できたらと願っています。
ヒストリアン日誌 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。