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東京むかで・東京世田谷50周年記念合同式典 [周年行事]

むかでバナー.jpg 世田谷バナー.jpg
 東京むかでクラブと東京世田谷クラブの創立50周年記念の合同式典が、青山学院のアイビーホールで開催され、出席しました。
 むかでクラブは1961年5月10日、世田谷クラブは同年6月3日にチャーターされました。同じ東新部ということもあり、10年前の40周年の時も、合同で記念式典を行ったそうです。むかでのクラブ名の由来は、野尻湖、山中湖キャンプの創始者、小林弥太郎が経営していた砂糖問屋の屋号「百足(むかで)屋」から来ています。むかでクラブと言えば、その野尻湖キャンプとユニークダンス、一方、世田谷クラブは国際交流と「YMCAすずらん会」に力を入れています。この日は、元国際会長の竹内敏朗さんの講演もありました。
 会場に飾られた、両クラブのバナーに目が行きました。むかでクラブのバナーの形は、通常見られる“ホームベース型”でなく、下部が逆に切り込まれている形でした。一方の世田谷クラブのそれは、下部が“波形”で、両クラブとも個性的な形のバナーです。世田谷のものは、IBCのガーディナークラブから贈られたもので、その旨が記されています。
 2005年に甲府で開かれた、第8回東日本区大会の時に、東京江東クラブの寺尾さんが、東日本区各クラブのバナーの写真を集めた「バナー図鑑」を作りましたが、今度は「バナー百科」的なものを作れれば良いと思います。

甲府21クラブ20周年 [周年行事]

20周年.jpg 甲府21クラブの20周年記念例会が、あずさ部の部会と併催という形で行われました。チャーターナイトの時と同じ、岡島ローヤル会舘が会場でした。
 甲府21クラブは1990年、甲府クラブの創立40周年記念事業として新クラブ設立が取り上げられ、山梨県で二番目のクラブとして誕生しました。チャーターメンバー23人は、YMCAに何らかのつながりを持つ人たちばかりでした。
 11月25日のチャーターナイトでは、当時の中村次郎日本区理事(福岡中央)をはじめとする多くの区役員が、日韓ワイズメン会議のために出席出来ず、少年事業/Yサ事業主任の松田俊彦さん(東京)が、初代会長・功刀弘さんに認証状を伝達しました。奇しくも20年後、功刀さんが二度目の会長として、松田さんは東日本区理事として、記念例会の壇上にいました。
 「甲府21」の名称は、甲府クラブの済本文雄さんの命名ですが、21世紀を目前にしての意気込みが感じられます。数字そのものをクラブ名に取り入れたのは、後にも先にも甲府21クラブだけでしょう。余談ですが、過去に大阪センテニアル=100周年(1982)や京都センチュリー=100年(1987)といった、数字からイメージ化した名称や、今年8月には「京都ZERO」クラブのように英字表記のクラブも現れました。
 記念例会では、チャーター以来例会皆勤の3人(駒田勝彦さん・中島竹男さん・松村豪夫さん)が表彰されましたが、2008年の東日本区大会では、30年以上の皆勤者11人を、当時の越智京子理事が表彰しました。これらは驚きですが、21クラブの3人にも今後皆勤を続けて頂きたいと思います。
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