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No.1 クラブの名称をウォッチング [Y'sdom Watching]

▼前口上
 インターネット上の図書館「甲府ワイズ文庫」では、各クラブの例会や、その他の会合での卓話や講演、またブリテンに掲載された論文やエッセーなどを収蔵してきました。しかし、これまでのような受け身の姿勢では、なかなか文献も集まらず、これからの図書館経営を考えると、自ら発信する役割も果たすべきではないかとの思いから、新たな媒体「Y’sdom Watching=ワイズダム・ウォッチング」なるものを発信することに致しました。

 東日本区前ヒストリアン・吉田明弘さん(東京西)の「Historian’s View」(以下H.V)は、「理事通信より狭く・詳しく」「区報よりタイムリーに」をコンセプトに、「半官半民」のスタンスで発行されました。
 この「Y’sdom Watching」は、比較するのは、あまりにもおこがましいことですが、「H.Vより浅く・ミーハー的に」「気が向いたら発行」をコンセプトに、ワイズダムの様々なシーンを時には虫眼鏡で、時には遠眼鏡で“路上観察”してみたいと思います…。という訳で、「View」と「Watching」の、その意味するところ─「見解」と「観察」─の違いが本質にあります。
 第1号となる今回は、「クラブの名称」をウォッチングしてみました。

▼クラブ名と都市名
 2003年、富士五湖クラブを設立する時に、「富士五湖」という名称が話題になったことがありました。
 ワイズ国際憲法-ガイドライン302及び、「新クラブ発足の手順と必要な手続き」(東日本区の「Handbook&Membership Roster」に掲載)には、クラブの名称には都市名を冠するという項目があります。「富士五湖」が都市名に該当するか、という議論でした。

 「都市」という言葉を辞書で調べますと、『人口が集中し、その地域の政治、経済、文化の中心になっている町』とあります。「都市名」は、そういう町の名前、ということになります。名前があるということは、住所の表示にも反映され、そこには行政の機能があるということでしょう。そういう意味からすると、古くから「富士五湖」という地域の呼称はあるものの、「富士五湖市」や「富士五湖町」はその当時もありませんでしたので、富士五湖クラブは手続き違反ということになります。
 これに似たケースは、それ以前にもなかったわけではありません。1977年チャーターの十勝クラブは、「十勝支庁(現:十勝総合振興局)」という北海道の出先機関の名称はありますが、都市名としては「帯広」になります。「十勝の国」という地域名が古くから親しまれて来た経緯からの命名だと思います。

 富士五湖以降も“新種”の名称がいくつか現れました。2005年の信越妙高クラブは、「妙高市」という都市名で問題ないのですが、これが「妙高信越」でなく、都市名が後ろに付く珍しいケースと言えます。と言うのは通常は都市名が頭にあって、次に地域などを示す名称が配されます。妙高市を含めた広い地域の呼称を頭に使った所に、命名に込められた意図があるものと思われます。
 金沢八景クラブ(2006)は住居表示としては、「横浜市金沢区」で、都市名としては横浜市または金沢区が該当しますので、本来なら「横浜金沢クラブ」でも良いのですが、駅名にもあるようにこの地域が「金沢八景」という呼称で古くから一般的に呼ばれて来たことの方に、大きな理由があるものと思います。

 “都市名を冠する”という趣旨は、クラブが存在する地域を特定できる、という意味だと思います。「富士五湖」も「十勝」も「信越妙高」も「金沢八景」も、たいていの日本人であれば、それがどの辺りにあるか、ということはおおよそ認識できると思います。
 今後市町村合併がさらに進み、道州制が導入されれば、都市の呼び名も変わる可能性もありますから(現に随分変わりました)、いくらかの“疑い”があったとしても、「都市名」の定義は柔軟に考えたいものです。

▼クラブ名称の分類
 富士五湖クラブの名称が話題になった時、他のクラブのネーミングについて改めてウォッチしたことがありました。そして、それらは幾つかの種類に分類出来るのではないかと考えました。
 在京のクラブを例に紹介してみます。
①都市名型…文字通り都市の名前だけを冠したものです。その都市に最初に設立されたクラブはほとんどがこの型です。例゠東京
 同一都市で2番目以降のクラブは識別が必要なため、二次的な名称を冠します。
②地域名型…都市名の次に地域の名称を付けたものです。例゠東京山手、東京江東、東京世田谷、東京目黒、東京まちだ、東京八王子、東京銀座
③方位・地理型…方位・方角や、河川・港湾などの地理を表したものです。例゠東京西、東京、東京ひがし
④由来型…故事来歴、謂れなどから命名したもの。例゠東京むかで、東京センテニアル
⑤イメージ型…クラブとしての志向や意識を表現したもの。例゠東京グリーン、東京コスモス、東京サンライズ、東京たんぽぽ

 これらの型を複数持ち合わせた複合型の場合もあります。例えば、東京セントラル(2005)は、セントラル=中央で、方位・地理型ですが、イメージ型の要素も含んでいるものと想像します。
 また、地域名を併記した例もあり、2006年に東京武蔵野クラブと東京多摩クラブが合併し、東京武蔵野多摩クラブとなったケースや、東京白金高輪クラブ(2009)のようなケースもあります。以上のような分類は、ロータリークラブやライオンズクラブなど、他の国際奉仕クラブにも共通するでしょう。

▼ネーミングの変遷
 クラブのネーミングの変遷を見てみますと、当然のことながら、日本で最初のクラブである大阪クラブ(1928)を筆頭に、ワイズダムの草創期には都市名だけのクラブが設立されて行きました。
 地域名型のネーミングが初めて使われたのは、1951年の大阪土佐堀クラブです。大阪クラブに次ぐ、大阪YMCA二番目のクラブですが、同一YMCAとして複数のクラブが誕生した最初のケースでもあります。
 その後、53年の東京山手、56年の東京武蔵野と続き、50年代、60年代は、地域名型のネーミングが主流となって行きます。

一方、方位・地理型は、1956年の大阪サウスクラブが最初です。「南」でなく、「サウス」と英語をそのままカタカナ表記した最初のクラブでもありました。チャーターメンバー32人のうち3人が外国人であったということもあるでしょう。
 その後、神戸西(61)、東京西(76)、横浜ノース(77=2010解散)と80年代以降も続きます。
 余談ですが、方位を付けたクラブはそれぞれ、
—東京ひがし(88)、宇都宮東(93)、熊本ひがし(04)
西—神戸西、東京西、京都ウェスト(80)、大阪西(86)、広島西(09)、熊本にし(09)
—大阪サウス、熊本みなみ(02)、岩国みなみ(11)、東京南(88=2009解散)
—札幌北(81)、東京北(81)、横浜ノース、となっており、「西」が飛び抜けています。クラブ拡張は、西へ進むと効果大なのでしょうか。「西」の6クラブはヘキサゴンDBCの交流を行っていますし、東京ひがしと京都ウェストはDBCを結んでいます。
 また、河川などの地理に関する命名は、
河川—和歌山紀の川(84)、仙台広瀬川(11)
城郭—京都パレス(71)、仙台青葉城(80)、彦根シャトー(82)
港湾—博多オーシャン(87)、神戸ポート(88)
などです。

 意外と少ないのは、由来型です。1961年の東京むかでクラブは、野尻湖、山中湖キャンプの創始者小林弥太郎が経営していた砂糖問屋の屋号「百足(むかで)屋」に由来します。
 仙台青葉城(80)の場合は、青葉城(仙台城)という史跡からすると方位・地理型ですが、その頃大ヒットした歌謡曲「青葉城恋唄」(1978)と、当時大相撲で活躍していた関取のしこ名「青葉城」からの影響を考えると由来型とも言えます。今年誕生した、「仙台広瀬川クラブ」は、「青葉城恋唄」の歌詞の冒頭に出てきて、物語性の濃い命名だと思います。
 京都めいぷる(83)は、京都の西北に位置する高雄という紅葉の名所から、熊本ジェーンズ(87)は、熊本洋学校を設立し、熊本バンドの礎を築いた、リロイ・ランシング・ジェーンズ(1837-1909)からであることは言うまでもありません。

 同一都市にクラブが増えて来ますと、必然的にイメージ型のネーミングが多くなって来ます。日本区で最初のイメージ型のクラブ名は、おそらく1973年の東京グリーンクラブではないでしょうか。ゴルフ場と間違えられたという逸話がありますが、もちろんネーミングの意図は別の所にあったと思います。
 その後、80年代になって続々とイメージ型が登場します。京都キャピタル(83)、熱海グローリー(84)、京都プリンス(86)、東京サンライズ(89)などです。東京サンライズは発足当初、例会を早朝に行っていた事はよく知られています。

▼イメージの京都部
日本のワイズメンズクラブの中でイメージ型が多いのが西日本区の京都部でしょう。京都部は現在18クラブですが、京都、福知山の都市名型、京都洛中、京都東陵の地域名型、京都パレス、京都ウェストの方位・地理型、京都めいぷるの由来型以外は、すべてイメージ型のクラブ名です。(以下京都を省略)キャピタル、プリンス、センチュリー、ウィング、エイブル、グローバル、みやび、トップス、トゥービー、ウェル、と続き、2010年8月には、京都ZEROクラブが誕生しました。アルファベット表記のクラブ名はおそらく日本で初めてでしょう。
 千年の都京都のクラブが、新しい感覚でクラブ名を命名していることに驚きますが、逆に言えば、常に先進的な気風を持ち続けて行くことの積み重ねが、伝統を築いて行くのだとも言えます。

▼漢字・カタカナ・ひらがな…そして
 クラブ名の文字の表記の変遷も、世の中の流れと同様であることがわかります。
 初期の頃は、当然都市名型が多かったのでそのまま漢字ですが、1956年の大阪サウスをきっかけに、京都パレス(71)、東京グリーン(73)など70年代からカタカナ表記が増えて来ます。
 ひらがなも東京むかでからしばらく間をあけて80年代になると増え始めます。京都めいぷる(1983)のように本来カタカナ表記すべき所を、ひらがなで表現している場合と、東京ひがし(88)のように、通常漢字表記してもよいものを、ひらがなにしているケースとがあります。いずれの場合も見た目の印象に配慮してのものでしょう。

 これらのケースは肝心の都市名の部分は必ず本来使われている文字(漢字)で表して来ましたが、「さんだクラブ」(1993=西日本区・六甲部)は、「三田」ではなく、ひらがな表記にしました。「みた」と読み違うことを危惧してのことでしょうか。東日本区では2007年の「もりおかクラブ」が最初です。東京まちだ(91)、横浜とつか(94)、横浜つづき(06)は、地域名をひらがなにしています。国際協会への登録はローマ字ですから、読みが合致していれば漢字でもひらがなでも構わない訳です。
 そして、前出の英字の「京都ZEROクラブ」です。ZEROは数の「0」ですが、数字そのものを表記しているのは、甲府21クラブ(90)のみです。21世紀を間近に控えての意気込みの表現でしょう。ZEROも21も自らの立ち位置を表しているように感じられます。

▼親子関係
 新しいクラブが誕生する時、そのクラブ名を命名するのは、スポンサークラブである親なのか、それとも子ども本人の自主性を重んじるのか、様々なケースがあると思いますが、親子関係という視点で見た時に、“なるほど”と思わされるケースがありました。
 今年チャーターした「仙台広瀬川クラブ」の親は「仙台」と「仙台青葉城」です。“青葉城”と“広瀬川”で、前出のように「青葉城恋唄」を連想するのは私だけではないでしょう。
 また、「京都プリンス」の親は「京都パレス」です。京都パレスは設立当時、京都御所の西側にあった「京都YMCA今出川センター」に事務所を置き、“御所”の近くにあるところから“パレス”と命名されました。その子どもは当時、京都部では一番若い平均年齢(30代前半?)で構成されていましたので、“皇太子”のイメージから“プリンス”と命名されました。
 「京都さくらクラブ」(1993)の親は、“かえで”の京都めいぷるでしたが、2008年、花びらが散るように解散したのは残念なことでした。

▼クラブ名とロゴ
 横睨みになりますが、クラブ名のロゴタイプについて触れてみます。各クラブのブリテンを拝見すると、ロゴやシンボルマークがヘッダーに掲載されているのを見かけますが、そう多くはないように思います。私の属する「あずさ部」では、ブリテンのヘッダーにロゴタイプのクラブ名を掲げているのは12クラブ中1クラブ(東京サンライズ)のみです。ブリテン名称やシンボルマーク、バナーのデザインを掲載しているものは結構あります。
 クラブを企業にたとえるならば、ロゴやシンボルマークがあっても良いはずです。これからチャーターするクラブや、既存のクラブでも周年記念などの機会にロゴやシンボルマークを制定したらどうでしょうか。
 シンボルマークについては別の機会にウォッチしてみたいと思います。

▼あとがき
 かねてから京都部のクラブ名に興味を持っていましたので、4つのクラブ(パレス、ウェスト、めいぷる、キャピタル)の名称決定に関わられた岡本尚男さん(京都キャピタル)に、その辺の事情をお聞きしました。改めて命名に対する“思い”があることを知りました。同時に、将来をも見据えた“思い”があることも知りました。
 例えば、京都めいぷると京都キャピタルは京都パレスの“双子”として誕生しましたが、当時パレスクラブ内では、『これを機に京都市内の各行政区に一つずつクラブを増やそうということが語られた』そうです。
 現在18クラブ500人に成らんとする、京都部の現実がそれを物語っています。

▼言い訳的あとがき
 吉田明弘さんのH.Vが1年で終わったことが、あまりにも残念であることは、私だけの思いではないはずです。このようなメディアが何らかの形で継続できたらと思いますが、いくら後任のヒストリアンだからといって、私には“View”は書けません。せいぜい書こうとすれば、ミーハー的観察です。ヒストリアンという役職が動機になっていることは否めませんが、あくまで「甲府ワイズ文庫司書」としてのスタンスでの発信です。
 ワイズ歴が浅く、浅学な身には、実体験のない事柄や、自分の所属する、あずさ部や東日本区以外については、当然のことながら知りません。
 とは言え、歴史的な事実は正確を期す必要があります。その点については、誤りがあればご指摘下さい。その他の文章表現の稚拙さなどには、目を瞑って頂きたく思います。
 H.VのNo.14は「部のネーミングとイメージ」でした。このクラブ版を書けないかと思いついたのが今号です。H.Vで、おおかたのテーマは出尽くされましたので、今後はその間隙を縫った重箱の隅をつつくような素材探しになるおそれがあり、早晩行き詰まるであろうことが予想されます。そうならないためにも、将来的には「執筆者」という立場よりも、「編集者」的立場で発信できたらいいなと思っています。

 なお、次号は、「女性会員をウォッチング」したいと思いますが、「気が向いたら発行」をコンセプトにしていますので、時期は未定です。 
 皆様からの忌憚のないご意見、ご感想、ご提案、情報提供などいただければ幸いです。
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